東京地方裁判所 昭和40年(合わ)45号 判決 1965年9月30日
被告人 菅谷敏
昭一八・九・一四生 自動車運転手
主文
被告人を懲役一二年および罰金三、〇〇〇円に処する。
未決勾留日数中、一八〇日を右懲役刑に算入する。
右罰金を完納することができないときは、金三〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
押収してある財布一個(昭和四〇年押第五八九号の三)および現金五一、九〇〇円(一万円札五枚、千円札一枚、五百円札一枚、百円札四枚)(同号の四)は被害者鄭奉君の相続人に還付する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、中学校卒業後、東京都江戸川区小岩の自動車部品製作工場に工員として勤め、傍ら夜は千葉県立千葉工業高等学校に通学していたが、昭和三六年二月頃からたびたび非行を重ねたため、同年九月に同校を中退するに至り、また一方その職も再三にわたつて変え、昭和三八年には少年院に収容されるなどしていたところ、昭和三九年一一月二八日からは同都台東区山伏町の昭和運送有限会社に自動車運転手として就職し、貨物輸送自動車等の運転業務に従事していたものである。
ところで被告人は、
第一 昭和四〇年二月二日午後九時一〇分頃、普通乗用自動車(品わ一三八号)を運転して、東京都公安委員会が道路標識を設置して一方通行とした場所である東京都中央区銀座八丁目一番地附近道路にさしかかつた際、前方の道路標識の表示に注意し、一方通行の場所でないことを確認して運転すべき注意義務を怠り、同所が一方通行の場所であることに気づかないで、その出口方向から入口方向に向つて前記自動車を運転して進行し、
第二 同月七日午前一〇時五〇分頃、普通乗用自動車(品五わ一三七号)を運転して、東京都港区赤坂見附方面から同都新宿区四谷見附方面に向つて時速約六〇キロメートルの高速で進行し、同都港区赤坂元赤坂無番地先の通称紀の国坂のカーブにさしかかつたのであるが、およそ自動車運転者たる者は常に前方および左右方向に対して注視することは勿論、カーブをきるときは、減速して運転する等特に意を用い、もつて、歩行者等との衝突等による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があり、しかも右通過中、一旦は約四六メートル前方を右から左へ横断歩行中の鄭奉君(当時三九年)の姿を認めているにもかかわらず、同人に接近した場合には、自己のハンドル操作によつて危険を避け得るものと過信し、かつ、ハンドル操作に気を奪われて鄭の移動について注視を怠つた過失、ならびに、女性二人を同乗させていたところから、高速でカーブをきるとタイヤのきしむ音がするので、同女らが喜ぶだろうと考え、減速することなく前記自動車の進行を続けた過失により、再度右鄭を認めたときは、同人はすでに右自動車の右直前に位置しており、急いで避譲の措置を講じようとしたけれども間に合わず、同自動車の前部右側ライト附近を同人の左下腿部に激突させて、同人を右自動車のボンネツト上面に跳ね上げたうえ路上に落下転倒せしめ、よつて、同人に対し骨盤骨複雑骨折および頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ
第三 同日午前一一時頃、右傷害を負つた鄭を救護するため最寄りの病院へ搬送すべく、意識不明に陥つている同人を自己の手によつて前記自動車助手席に同乗させて右同所を出発したところ、当時、右鄭の容態は、直ちに最寄りの病院に搬送することにより救護すれば死の結果を防止することが充分に可能であり、かつ、被告人には、右鄭を直ちに最寄りの病院に搬送して救護し、もつてその生存を維持すべき義務があるにもかかわらず、同都新宿区四谷三丁目都電停留所附近にさしかかつた際、同人を搬送することによつて、自己が前記第二の犯人であることが発覚し、刑事責任を問われることをおそれるの余り、右搬送の意図を放擲し、同人を都内の適当な場所に遺棄するなどして逃走しようと企てると同時に、右鄭は当時重態であつて病院に搬送して即時救護の措置を加えなければ、同人が死亡するかもしれないことを充分予見しながら、それもやむを得ないと決意し、このような決意のもとに、同所から千葉県市川市国分町三、一五六番地所在の山林まで、約二九キロメートルの間、何らの救護措置もとらずに走行したため、その間走行中の同車内において、同人を骨盤骨複雑骨折による出血および右傷害に基づく外傷性シヨツクにより死亡させ、もつて同人を殺害し、
第四 同日午後二時頃、前記山林内において、右鄭の着ていた背広上衣の内ポケツトから同人の所有していた現金五一、九〇〇円在中の財布一個(昭和四〇年押第五八九号の三・四)を窃取し、
第五 同日午後二時一〇分頃、同所において、前記第二および第三記載の犯行を隠蔽するため右鄭の死体を同所に埋めてこれを遺棄し
たものである。
(一) 証拠の標目(略)
(二) 判示第三の殺人罪の認定について
(1) 被告人は、判示第三の所為につき殺意はなかつたと主張するので、右争点と、これに関連する鄭奉君(以下本項において「被害者」という。)の容態とその救護可能性につき検討する。
(2) 被害者の容態と救護可能性
(イ) 前記香取利昌、山田敏明、方聖沢の司法警察員に対する供述調書を綜合すれば、判示第二の事故直後、被害者は意識がなく、呻いてもおらず、きわめて重態であることが明らかに窺われる状態にあつたと認められる。
(ロ) しかしながら、証人池田亀夫(医師、慶応義塾大学医学部助教授)の供述によれば、被害者は事故直後に治療を受ければ一命をとりとめる蓋然性が極めて高かつた(最近の臨床例では、本件被害者程度の患者で治療の甲斐なく死亡したものが殆どない)こと、被害者は判示第二の犯行現場に放置された場合でも二四時間以上は生存し得たであろうことがそれぞれ認められる。
(ハ) しかして、被害者の死期が早められたのは、本件自動車の狭い助手席に置かれ、車の動揺等の影響を受けたためであることも、右供述により明らかなところであるが、被告人が被害者を救護する意思を捨てた四谷三丁目都電停留所附近は、判示第二の犯行現場と約一・九キロ離れているに過ぎない(司法警察員作成の昭和四〇年三月一日付捜査報告書)から、この程度の走行が被害者の容態を急変させたとは到底考えられないので、右時点において、被害者を直ちに病院に搬送して救護措置を受けしめれば、同人の死の結果を回避することは充分に出来たものと認められる。
(3) 被害者の容態についての被告人の認識
(イ) 被告人は当公判廷において、「順天堂病院附近に至るまで被害者が死んだとは思わなかつた。」「病院へ入れれば自分の責任は果せると思つた。」「最初は病院に行つて被害者と示談しようと思つていた。」旨供述しており、右供述に照らせば、被告人が直ちに被害者を病院に搬送すれば救護可能であると考えていたことは明らかである。
(ロ) しかし他方、前記重態と判る被害者の外観、被告人が救急車も待たずに被害者を病院に搬送しようとして出発した事実、被告人の当公判廷における供述により認められる。被告人が四谷三丁目交叉点附近で被害者の頬を四・五回叩いたり、腿をゆさぶつたりし、順天堂病院附近で、被害者の心臓の鼓動の有無を確認し、被害者の容態に気を使つている事実、被告人自身の当公判廷における「被害者はかなりのシヨツクで昏睡状態を続けていると思つた。」「このまま車を進めて行けば途中で死んでしまうんじやないかという考えも頭にちらちら浮んだ。」旨の供述を綜合すれば、被告人が被害者の容態をきわめて重いと考えていたことが明らかであり、被告人が信用性を争つている司法警察員に対する「一刻も早く被害者を病院に連れて行かなければ死ぬかも知れないと思つた」旨の供述(同月一五日付)は充分に信用性があり、被告人が被害者の死を未必的に予見していたことは明らかに認められる。
(4) 被害者の死の結果に対する認容
(イ) そして、被告人は、右のような認識をしながら、あえて被害者を病院に搬送しようとせず、自動車の走行を続けたことは前示各証拠により明らかであつて、この行為により、被告人の被害者の死に対する認容の意思もまた充分に認められる。
(ロ) この点につき被告人は当公判廷において、「被害者が死んだと知る迄は、被害者を都内の人通りのない所に放置しようと思つていた。必ず誰かが助けてくれると思つていた」旨述べている。右述べる所が仮りに真実であるとしても、被告人は前記のとおり、被害者の容態が一刻を争うと考えていたのであるから、放置することにより被害者の生命が救われるのはきわめて偶然な、他人の行為にかかることも当然に認識された筈である。認容の意思が否定されるためには、自己の行為によつて確実に結果を回避しうると考えた場合に限られるというべきであり、本件のごとく、被害者の生命を偶然に委ねる如きことは、結果を積極的に認容した場合と何ら異なるところがないと考えるのが相当であつて、被告人の右供述する場合であつても、認容の意思は充分に認められるものと考える。結局被告人に未必的殺意のあつたことは明らかであるというべきである。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は、道路交通法七条一項、九条二項、一一九条二項、一項一号、同法施行令七条に、判示第二の所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条、三条に、判示第三の所為は刑法一九九条に、判示第四の所為は同法二三五条に、判示第五の所為は同法一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪につき禁錮刑を、判示第三の罪につき有期懲役刑を、各所定刑中それぞれ選択する。そして、判示第一ないし第五の各罪は、同法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑、禁錮刑については、同法四七条本文、一〇条により、最も重い判示第三の罪の刑に、同法一四条の制限内で法定の加重をし、罰金刑については、同法四八条一項によりこれを右懲役刑と併科することとし、その刑期および罰金額の範囲内で処断することとなる。
ところで、被告人の判示第二の犯行は、被害者鄭に、所定の横断歩道でない場所を横断しようとした過失もあつたとはいえ(但し、その場所は、地形上高速道路下の円柱の附近であつて、同所の道路の広さ等を考えれば、自動車等は同所を通過する場合、余程のことがない限り本件衝突地点まで偏つて通行しないと考えられるから、その過失は決して重いものではない)、自己の運転技術に対する過信と、高速のままカーブをきることにより発するタイヤのきしむ音で同乗の女性達を喜ばせようとして制限速度を遥かに越えるスピードで判示自動車を運転していたという、軽薄な行動に基づくものであることを考えると、被告人の行為は、近来激化の一途を辿る自動車の交通事情のもとにおいては、危険極まりないものというべく、用法によつては「走る凶器」ともいわれる自動車の運転者として厳しくその責任を問われなければならない。
また、判示第三および第五の犯行は、自己の判示第二の犯行を隠蔽しようとの悪質な動機から、残虐にも人命を奪い、かつまたその死体を地中に埋没したものであつて、人間の生命の尊厳さを見失い、死者に対する畏敬の念を忘れたその行為は、人間としての誠意の片鱗すら見出せない、天人ともに許さざるものであり、反社会性の最も大なるものというべきである。また、交通地獄ともいわれる都会で生活している多くの市民をして、我身に引きかえて戦慄せしめたという、社会に与えた影響の大なることを考え併わせれば、被告人の責任は重大である。
しかしながら、被告人は、弁護人の努力と、大正海上火災保険株式会社等の協力によるものではあるが、合計二八三万円の金員を被害者の遺族に支払うことにより、同人等との間に示談を成立させており、また被害者の妻は、最近、被告人に聖書を差入れて、被告人に人間としての立直りを求めると共に、その行為を宥恕していること、および被告人の父親その他親族においても、本件犯行につき痛く責任を感じ、被告人と共に謹慎していることが認められ、これらの事情は、被告人のため有利な事情として量刑上斟酌しなければならない。
以上、被告人のため有利不利両面の諸事情を彼此考慮したうえ、前記刑期および罰金額の範囲内で、被告人を懲役一二年および罰金三、〇〇〇円に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中一八〇日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金三〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。そして、押収してある財布一個(昭和四〇年押第五八九号の三)および現金五一、九〇〇円(一万円札五枚、千円札一枚、五百円札一枚、百円札四枚)(同号の四)は被告人が判示第四の罪により窃取した賍物で、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項によりこれを被害者鄭奉君の相続人に還付し、訴訟費用については、同法一八一条一項但書により、被告人に負担させないこととする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 八島三郎 新谷一信 永山忠彦)